教育の鬼・シム ブログ㉑~子どものために!が高じると~
夏休みも終盤。
来週には学校が始まる地域もあるでしょう。
皆さんはこの夏休み、子どものためにどれだけのことをしてあげられましたか?
旅行に連れていってあげた。
映画館に連れていってあげた。
プールに連れていってあげた。
勉強を教えてあげた。
宿題を手伝ってあげた。
美味しい物を食べさせてあげた。
好きなことをやらせてあげた。
子どものためにたくさんのことをしてあげた。
これを少し意地悪な表現で言い換えてみると……
大人がサービスの提供者になり、子どもがそれを享受し消化した。
そう、かなり大げさに言えば、夏休み、家庭や地域は『子どもサービスパラダイスpresented by大人』と化す。そんな一面があるのです。
そして学校生活が始まるこの時期に子どもの精神状態はプチ葛藤状態になります。
どういうことか?
学校にいる大人『教師』は子どもにサービス提供をしません。
教師は子どもの学校生活を指導し、学級を経営し、授業をする立場にあります。
教師が『指示・命令』を与え、子どもがそれに従うという関係性、これが主軸です。
これを良い悪いとするかは別として、本質的に学校における教師と児童生徒の関係はそうなのです。
心ある教師は「~しましょう」と呼びかけますが、その意味するところは「Let’s」ではなく「Do」
「~してください」というていねいな呼びかけも、その本質は「Please」ではなくやっぱり「Do」。
大人がたくさんサービス提供してくれる家庭(地域)文化。
一方、大人がたくさん指示命令してくる学校文化。
相対立する文化の間(はざま)で子どもは声にならない、言葉にならない、理解不能の、肌感覚の、なんとなくの葛藤を起こします。
(なかなかサービスしてくれないなぁ)
(楽しませてくれないようだ)
(どことなく……えらそーね)
そんなこんなで夏休み明けは学校における子ども(特に低学年)の指導が難しくなったり、不登校が始まりやすい時期だったりするのです。
幼稚園、保育園から1年生になった子が最初に当惑しやすいのも同じ理屈であったりもします。
そしてこの文化的葛藤論を当てはめて考えると現代日本の教育問題の本質的原因が理解しやすくなります。
それはまた折を見て……。
ちなみに若き日のシム先の実践が『教師たちの挑戦』という本に掲載されたことがありました。
懐かしい……