教育の鬼・シムブログ⑱~それでも自分で書かせなさい~

夏休みの定番宿題、読書感想文。
これは子どもにとって本当にやっかいである。
子どもにとってやっかいな宿題=親にとってやっかいな宿題
となっていることが現代の教育事情のやっかいさであるが……

さて、子どもにとってなぜ『夏休み』の『読書感想文』がやっかいなのか?
①感動したり、学びを得たり、大いにタメになったなどと「書くべき」だから。
 勘の良い子はここに気づき、シラケるのである。
 同じ本を読んでもどのような感想を持つかはその子の感性によるもので自由であるはずなのに、ポジティブな感想しか書いてはいけないような圧力がある。

②そもそも感想文を書くには心を掘り起こしながら能動的に読み進め、深めていく必要があるのだが、これは国語の授業で「読み取り」をしていってこそすべての子どもにとって可能になると思う。ところがこれが夏休みにすべての子ども(家庭?)に丸投げされてしまうからやっかい。

③「思ったことをそのまま書けば良い」とは言うが、思ったことをそのまま書けば2~3行で終わってしまう(笑)。
 読書感想文を原稿用紙に書くにもやはりそれなりの能力とテクニックが必要。だがその能力を高め、テクニックを身につける授業はなかなか精力的にはおこなわれていない。
授業でそこまでおこなわれていないものをすべての子ども(家庭?)に丸投げされてしまうか
らやっかい。

さて、ここまで書いてきていよいよ「読書感想文の書き方とコツ」を論じていきたいけれど、それは割愛。
大切なことは、親御さんが子ども(書けない、書きたくないと嘆く)の読書感想文に手出しをしないということ。
「まったく!こんなの学校でやらせてよね!やっかいだから、サッサと終わらせてあげよう!」なんて気持ち、分からないでもないけれど。
「こうやって書けばいい文章になるよ」と教えたい気持ち、分からないでもないけれど。

自由研究の章でも書いたように、教科書のどこかに「読書感想文」について載っているかもしれません。
本屋さんや図書館に行けばそれについて分かりやすく解説している本があるはず。
それを自分で見つける、買う(借りる)、読む、それを踏まえて本を読み、読書感想文を自力で書く。
ぜひさせてみてください。
この一連の行動を通して子どもが総合的に高まるはずなのです。
そこに大きな大きな大きな価値があるのです。

教えてくれる大人、手伝ってくれる大人がいないと勉強ができない子は学力的な高まりにもあまり期待できません。
みすぼらしい自由研究、たどたどしい読書感想文でも「自力」でやり遂げ、やり続ける子がある日突然、堰を切ったかのように伸び始めます。
シムはそんな子を何人も知っています。

これから伸びゆく子どもたちの内なる芽を大人の愛情と善意と熱意で摘み取らぬように。
内なる芽は子ども自身が自力で育てていくものなのですよ。(^_^)

ちなみに子どものころのシムの愛読書は『十五少年漂流記』
とにかく熱中、興奮しながら何度も読んでいたのを覚えている。
あのとき感想文を書け、なんて言われても書けなかっただろうけれど(^_^;
シムの教育信念「子どもは子ども集団の中でこそ育つ」の原点になった作品、かな。

「読書をしない夏休みなんてありえない!最低三冊は読むこと」これがシム先(先生)の夏休みの宿題でした。
長い夏休み。一生大切にしていたい本との出会いを。